画になる瞬間

SNSなんかを見ていると、奇跡としかいいようのない瞬間を収めた写真が至る所に跋扈している。構図、色合い、仕草、その全てが、偶然のはずなのにドンピシャの画。撮影者の勘というか観察眼というか、そういう研ぎ澄まされた何かがそれを可能にしているんでしょう。当然、常時ぼけーっとしている自分には縁遠い話なのですが。別に構いません。とりわけ写真が好きというわけではないので撮ってみたいなんていう望みはほとんど持ち合わせていないから。けれども、しかしながら、おお、と興奮するような瞬間には立ち会ってみたいと、人並みには思っているわけです。

そんな淡い期待を抱いている私は今日、先に述べたほどではないがこれは画になる、と思った光景に出くわすことができた。めでたい。

それは職場のあたりをうろついていたときのこと。狭い路地に面する一画。巨大なショベルカーが鎮座しているのが遠くからでもわかり、ああ家でも壊したんかなとぼんやり思いながら私はその横を通りすぎんとしていた。そこに差し掛かると、案の定クズと化した木材の山。ああ、と目を背けて、目の前の景色を思い返し、はっとする。

廃材、ショベルカー、そしてその傍ら。蹲踞してスマホを眺める工事現場の人。これ。

文章で見ると何てことないように思われるかもしれない(文章力がないのはこの際置いておく)。しかし自分には、巨大なモンスターを軽々とあしらい、バラし、つまらなそうに休息する手練の戦士にしか見えなかったのです。工事現場のおじさまが、なんと様になることか。

見方次第で、日常の風景もおおっとなるようなものに見えるような気がした、そんな午後でした。

 

追記

今日はエアメールの日らしい。何で?

ハイアベレージ

健康診断は何度やっても慣れない。

ことに採血。刺す瞬間など見られるはずもなく、吸血されている間も言わずもがな、針を抜かれたのち数秒間は思考停止し、担当の方に大丈夫かと冷ややかに笑われる始末。別段痛みに耐えられないとかそういう身体的苦痛が嫌なのではなく、今この瞬間確実に血の気が奪われている、つまりは死に近づいているという感覚がとても生々しくて嫌だ。

採られるのも嫌だが、何かを注入されるのも嫌だ。

予防接種程度ならともかく、点滴ともなると恐怖が段違い、常に異物を注がれていると思うとぞっとする。そのせいなのかわからないが、点滴の針を刺された際に一度吐いたことがある。看護師の方に吐瀉の模様を静観され処理してもらうあの情けなさはもう味わいたくないものです。

予防接種といえば、新型コロナウイルスのワクチン接種が開始されたようでニュースでよくその光景を見る。針を垂直に突き立ててますよね、あれ。ものすごく痛そう。インフルエンザのもそうでしたっけね。暫く受けてないので忘れましたが。痛そうなのでどっちも受けたくなくなりました。でも受けないと白い目で見られるんでしょうね。受けます。

 

さて、尿検査、血圧検査と不安な要素の多い健康診断ですが、先日行ったものは特に後者が酷かった(前者も問題あったけれど)。血圧の高い方が120。一応基準内に収まっていたものの、帰った後に妹に訊いてみるとお前の年齢でそれはやばいと本気で注意される。同僚に相談したらなんてことないと言われたが不安にならざるを得ないこの性分で納得する訳もなく、何か対策を講じなければと考え始める。

頑張りたいのは以下の3つ。

腹式呼吸

・帰宅時の徒歩

・ポテトチップスの制限

3つ目は塩分制限(気休め)のためです。

いつから始めたか忘れましたが、2月4日にはもう始めていたと思うのでそこを起点とし、とりあえず一年は頑張りたい。マックやミスドなどのジャンク系も一応抑えたい。

ストレッチをすると血管が伸びていいらしい(浅い)ので思い出したらやっておきたい。

 

関係ないですけど今日階段で歩きスマホをしていたらこけました。こけただけで良かった。もうしません。

シンクロナイズドスイミング

もうシンクロナイズドスイミングとはいわないらしい。

 

今日は訳もなく年休をとり一日中トルネコ3に興じた。興じながらシンクロニシティの録音ラジオを延々聴いた。

 

シンクロニシティのことは、数日前「スクール革命」で知った。癖の強いネタ(というかキャラ)が印象的でふんわり気になりつつも幾日かすぎ、ふと思い出したときに調べてみるとどうやらラジオをやっている。聴いてみたら期待を裏切らない卑屈なキャラ(吉岡さん)、好青年みのあるちょうどいいツッコミ(西野さん)の軽妙なトーク。ぼそぼそとへらへら。元落研員というのもあってか喋りがうまい。なんだかんだいいつつお互いを認め合ってる感じも素晴らしく…あと吉岡さんのウィスパー気味のボイスも…うん…いい…

ネタの方も2人のどれも微妙にギリギリな感じで、陰気な人柄があらわれていてシンパシーを感じる、ちょうどツボだなあというコンビ。そもそもお笑いに疎いのでどの程度面白いのかはわからないけれど内気人間にはおすすめできる。知名度がさほど高くないというのも魅力です(失礼)

いつかライブで直にネタをみたいス。

 

トルネコ3戦果

トルネコ・ポポロのレベルとちからを最大まであげ、クロウアンドレアを+99に。1日費やしただけのことはあるんじゃなかろうかと思いたい。

 

明日からはまた頑張ると言ってみる。

 

追記

吉岡さんの「ひ」を「し」という江戸っ子発音が非常に可愛らしい

笑壷

私はよく笑う。動画を観れば笑い、漫画を読めば笑い、上司につまらない冗談を言われれば笑う。思い返せば概ね愛想笑いであるが、笑う。動画や漫画などに対しても愛想笑いをする。お寒い空気を味わいたくなくて、自ずから半ば無理やり盛り上がる。誰に気をつかうでもなく、自分のために笑うのである。我ながら気味が悪いと思う。そもそも動画や漫画を鑑賞するさなか声を上げて笑うというのは実にキモチワルイ。矯正したいがもう無理だろう。悲しい。

 

さて、冗長に述べたがここまでは余談である。

齢15ほどになってからか、極端に笑壷に入ることが少なくなった。まあ大人にもなってゲラゲラしているのもどうかと思うので何も問題はないが、少し寂しい気もする。そんなことを考えていた折、機を狙ったかのように私のツボを撃ち抜く出来事があった。

つい先日の話。家族で外食に行ったところ、このご時世にもかかわらず私はマスクを忘れてしまった。

マスク必着の店だったので、しまったやらかした、と渋い顔をしていると、スタッフの方から急場凌ぎのマスクをいただいた。ほっと安堵して早速それを着用したのだが、これがいけなかったらしい。

宴もたけなわ、食事も終わりにさしかかった頃、妹が私の口元を一瞥し、ぷっと吹き出したのである。

訝しく思い、けらけら笑い続ける彼女を問い質すと、彼女はこう答えた。

マスクがひどくすけすけであると。

確かに、店から貰ったマスクは生地がめちゃくちゃに薄く、向こうが透けて見えるほどだった。私自身はあまり意識していなかったが、それは側から見ると衝撃的であるようだった。

「見ちゃいけないモノを見てるみたいだ」

そう言いながらなおもくつくつと笑う妹。私の口元を恥部呼ばわりする彼女に一瞬ムッとしたが、あんまりに楽しそうに笑うので、私もとうとう吹き出した。

それからはもう止まらなかった。笑うまいとすればするほどおかしく思われ、2人で狂ったように笑った。久々の「笑壷に入る」感覚であった。

 

顧みるとクスリとも笑えないが、楽しかった。ツボに入るときは何故だか妹がらみが多い気がする。たいてい彼女が妙なことに気がつき笑い始め、それにつられて私も哄笑するといった具合だ。幼い頃にじゃれ合ったときの記憶が、体に染み付いているんだろうか。特別仲がいいわけじゃないのだけれど。

 

笑うと体に良いといいます。もっと芯から笑って生きていたい。強く生きていきましょう。

転生

元々生身で配信活動等していた人がVtuberになりかわることを俗に「転生」というそうです。私には縁遠い世界だったので全く知らんかったのですが、最近、昔追っかけていた実況者さんが転生を果たしていたと小耳に挟み仰天しました。2年近く音沙汰なく、とうに引退したものと思っていたものですから余計に。

覗いてみると、転生前こそそこそこの知名度だったものの、今では登録者数ウン十万のビッグな存在に成り代わっていました。それでもVtuber界隈からしたら中堅レベルなのかもしれませんね。金盾レベルなんてザラなのでしょう。しかしまあそんなことはどうでもよいのです。新作を半ば諦めていた方が復活して意欲的に活動していること、以前に比べてたくさんの人にちやほやされていること、それらが何とも複雑な感情を生んで私の中に渦巻いているのです。

そうです。世にありがちな、面倒くさいファンというやつです。

再び彼女の声が聞けるというのは欣喜雀躍して然るべきありがたいことです。実際喜び勇んで過去の配信など観漁っています。されど、常に邪念がつきまとうのです。以前の落ち着いた雰囲気の方が良かった、囲いが気持ち悪い、絡みが多い、そもそもその意味不明のキャラ付けは何だ、云々。もうほとんど私に彼女を観る資格はないのです。まさしく「嫌なら観るな」です。

それでも愛さざるを得ません。もはや道はひとつ。私の心を変えるしかありません。

根本的なことをいえば、Vtuberが苦手なのです。というより、彼ら彼女らを取り巻く環境、もとい人間が嫌なのです。同族嫌悪なのでしょうが、何とも見るに堪えないのです。しかし、朱に交わればといいますから、ちょっとの我慢でまた好きなコンテンツとして享受できるはず。己の「好き」が、しょうもないことにねじ伏せられぬよう、精進あるのみ。

 

彼女のみならず、雑食的に観ていく必要がありそうです。強く生きていきましょう。

ないものに苦しめられる

前回の更新から1年以上の月日が過ぎた。なにゆえか。無事社会人と成り果て多忙を極めている、というわけではまったくなく、凝り性と飽き性のためである。やたら仔細な日記をつけて数週間で筆を折るなんてことは珍しくもない。ブログは日記のように一日サボったからどうこうというのはないので、気ままに更新したい。

 

近頃は、大学時代のサークルOBの企画するコンペに頭を悩ませている。指定されたテーマにそって作品を書き、その出来を競うという一般的なものだ。問題はそのテーマであった。

「そこに◯◯◯◯◯ペットがあったとして」。

◯◯◯◯◯ペットというのは参加者の造語である。造語が主題。

捉えようによっては、なんでもアリなのだから楽勝だ、と割り切れそうだが、せっかくなのだから◯◯◯◯◯ペットという意味不明の語に必然性を与えたい。そう考えると途端に難解になる。わかる範囲で外国語を調べ同じような響きはないかと探るも徒労。こじつけは出来そうだが話は広がらない。そして◯◯◯◯◯ペットの候補を挙げても「そこに〜があったとして」という前後の文が邪魔をする。

堂々巡りの勘案をしていると平気で1日経っていたりする。恐ろしや、なんたらペット。

締め切りまであと2週間ちょっと。進捗皆無。一応書く気はあるが、踏み切るまでが茨の道だ。星新一先生に任せたら、傑作が出来上がりそうなのにな。

 

こういう機会にしか文章書かんので、頑張りたいです。強く生きていきましょう。

焦燥と憔悴

前回は1週間も更新できなかったなァなんてほざいていたが、気付いたらもう2週間経っている。時の流れは恐ろしい。最近は特にそう痛感する。1月の半ばには2万字の論文一本書き終えていないといけないのに、現在の進捗、5693字(注釈含む)。数字におこしてみると割と進んでいるような気になるが、これからドイツ語文献を読み漁り纏め綴ることを考えるとまだまだ先は長い。頭を抱えてどうすりゃいいんだとあたふたしている間にも刻々と時は流れる。そうこうしているうちに年の瀬。恐ろしすぎる。

最近「返校」というホラーゲームをやった(こんなことをしているから卒論に首を絞められるのである)。Switchでセール中ということで、多少安く購入。Steamか何かのゲームらしい。実況動画で最初の方の展開だけ観た記憶はぼんやりとあるが、怖い雰囲気のゲームだなぁ当たり前かホラーゲームだものなぁとふわふわしたことを考えていたことしか覚えていない。ホラーゲームというジャンルに手を出すのは初めてだったのでやや躊躇いながらもゲームを起動する。それから殆どぶっ続けでエンディングまで走りきった。5時間ほどかかったが、時間を忘れるくらい熱中してしまった。それくらい面白かった。

まず操作が単純。基本的に右から左に進みながら探索するだけ。これはすぐに3D酔いしたり広大なマップに辟易したりしてしまう私にとっては嬉しいシステムだ。また解くべき謎もさほど難しくない。たいてい持っている道具から連想できることをこなしていけば、物語が進む。これも頭の弱い私にとっては嬉しい難易度だ。そして何より、ストーリーが面白い。突然不気味なところに迷い込んだり、金切り声をあげる幽霊に襲われたり、いつのまにか登場人物が吊るされていたりするなど場面場面を切り取るとよくわからない支離滅裂な世界観だと思ってしまうが、それを主人公の過去と「統制の厳しい時代の台湾」という舞台設定が繋ぎ止めて一貫した物語を作り出し、様々な解釈を可能にする。このギミックにはどういう意味がある、あのセリフにはどんな想いが込められている、それらを想像するだけで何倍も「返校」を楽しめると思う。怖がらせるだけがホラーではないのだと、その奥深さを学んだ。他にも面白いホラーゲームがあればやってみたい(怖いからできれば誰かと)。

さてどうでもいいことを綴っているうちにもう1000字に達そうとしている。ああ、今しがた達した。この字数を少しでも卒論の方に分けてあげたい。さすれば年内には終わるんじゃないだろうか。

戯けたことを抜かしていても何も進みません。分かっているのですがつらいのです。はぁ。

強く生きていきましょう。