ネーミング

 

 

絵を描く。文章を書く。動画を作る。

そういった創作活動を行う中での一番の楽しみは、タイトルの模索です。ばしゃっとハマる題名を閃いたときの、あの突き抜けるような快感。クセにならない人間が果たしているでしょうか。きっといません。その上頭の中だけでいくらでも捏ねくり回せるので、労を要することは殆どありません。いいことづくめです。命名の瞬間はいわば、全霊を注ぎ創意を尽くしたことに対する一種のご褒美なのです。

そこで甘い蜜を吸うことはあれど、まさか苦汁を飲まされることはないだろう。

そういう軽薄な気持ちで、私はある日ブログのタイトルを考え始めました。

考え始めて、月日は流れ、今まさに三ヶ月が経とうとしています。

見事に、苦汁の大海原で難航することになりました。

 

私の場合はたいてい、作品の全体像を把握したあとに題名を考えます。アイディアの枯渇した時期には先にタイトルだけ決めて、何となくそれに沿ったものを作ったりもしますが、まあ稀ですし、途中で気が変わってほぼ間違いなく方向性が迷子になります。

ブログのタイトルというのは後者に近いでしょう。

要は、今後の人生に名前をつけるようなものなのです。未来なんてそれこそ千変万化、諸行無常のことわりを表していますから、題名なぞ安易につけられるわけがありません。例えば「輝かしき我が生涯」などと銘打って(この時点で見るに堪えないものはありますが)ブログを始動したとしましょう。そうすると、私は富と名声をほしいままにする豊かな人生を歩まなければなりません。そりゃあこの上なくすばらしいことであるとは思いますが、悲しいかな、目下そのようなビジョンはひとかけらも見えませんし、ブルジョワを目指す向上心もありません。盛者必衰という有名な言葉もあります。看板に偽りアリ、タイトル詐欺になりかねません。

逆に「人間失格」などと銘打ったとしたら(この時点で見るに堪えないものはありますが)、女を片っ端からたぶらかした挙句に薬に溺れ、心も体も底の底まで堕落してゆく恐ろしい顛末が容易に想像できてしまいます。名は体を表すといいますから、実に不吉です。そんな波乱万丈の人生も、私は御免被ります。

じゃあどうすりゃいいのか、ああでもないこうでもない、と頭を悩ませた末に行き着いたのが、「塵も積もらぬ」という名前でした。

説明するのも野暮なもんですが、ここに書き留めたくだらないことが、いつか何かの拍子に実を結ぶといいかもネ、多分ならないケド、という楽観的かつ他力本願な思いを込めて名づけました。もちろん、ゴミ箱にスローインする気持ちで記事を書くという思いもあります。語感だけは気に入っています。

わざわざ粉骨してこういう場を作ったからには、強く生きてこのゴミ箱を満杯にする気持ちで頑張ろうと思います。

これから先、適当に、細く長くやっていければ何よりですね。いつまでもつことやら。